円七面鳥

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斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』感想

斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』を読みました。
この人はもっと面白いミステリを書いてくれる、ここで満足してほしくない、と思ったので感想を書きます。

 

以下、ネタバレ含む

 

 

・読み終えた感想としては、面白かったです。一気読みでした。青岸探偵事務所のメンバーが事件に挑む連ドラを幻視しました。しませんでしたか?

 

・「この人はもっと面白いミステリを書いてくれる」という思いは『詐欺師は天使の顔をして』を読んだときにも感じたもので、これは特殊設定ミステリとしての物足りなさに由来します。一口に物足りなさといってもいろいろありますが、ここでは、提示された特殊設定の使い倒し感の薄さとか、奥行きを感じさせるのに見させてくれない感覚とか、そういうのです。すごく面白そうな設定なのにそれを利用して提示される真相はこれだけ……?というか。

 

・「二人殺せば地獄に堕ちる世界」という設定を魅力的に書くことには成功していると思います。人類に制御できない出来事と、それに対応するための/それがもたらす新しい価値観・倫理観……現在の世界情勢と重ねたくなる気持ちもありますがさておき、そういった架空世界における社会の変化を予測し、そこに生きる人々の思考をトレースする、その部分の面白さはしっかり用意されていました。「一人までなら殺してもよい(殺すことが天使に許されている)」みたいなやつ。

 

・地獄行きのルールについて、読む前はもっと観念的で明文化しづらいルールなんだろう(そしてそのルールの隙を突いて連続殺人を行うのだろう)と思っていたのですが、実際はすごく即物的な運用がなされており、ルールの根幹である「二人殺せば」の部分に隙を突く余地はなさそう(直接的に二人殺して地獄行きを避けるのは無理そう)でした。この運用下で三人以上死なそうと思ったら、作中のような方法か、時限式の殺害方法くらいしか私には浮かびません。

 

・作中のようなルールを提示されては、その射程にすごく興味がわいてしまいます。牧師造薬殺人事件みたいなモデルケースがもっと欲しい。「天使は何を殺人と定めるか」を実際の人間で実験する集団が絶対どこかにいる。例えば、AがBの運転する車のタイヤを撃ち抜き、その車が人通りの多い交差点に突っ込んで多数の命を奪ったとして、天使がその責を負わせるのはAでしょうか? これはほんとに一例で、似たような思考実験がたくさん、具体的には法学における因果関係をめぐる議論における例示と同数以上にできます。「因果関係 法律」で検索!!!

 

・「天使はいつ『人が死んだ』と判断するか」という実験もできそうですし、「二人殺した瞬間からいつ/どこまで天使から逃れられるか(天使は時間的・空間的制約をどこまで無視できるか)」、「人間以外の生物が人間を二人以上殺した場合どうなるか」、「罪人以外の人間は『地獄』にどこまで干渉できるか(罪人でない人間を地獄に落としたり、無理心中したりできる?)」、「開かれている間の『地獄』は現実世界にどのような物理的影響を与えるか(主に想定しているのは”熱”ですが、それ以外でも……)」などなど、ミステリのトリックに影響しそうなトピックはいくつもありますし、その内容次第では「この世界だからこそ成立する意想外のトリック/動機」もたくさん生まれ得るでしょう。しかし作中の事件はルールの中心から数歩内のトリックや心理だけで構築されているように感じられ、そこがもどかしいというか、なんか一人で勝手に盛り上がってしまったみたいなさみしさにつながったのだと思います。

 

・ルールの細かな射程については作中の事件的にはかなりどうでもいいので描写が割かれないのはそりゃまあそうです。

 

・青岸が読んでいるかは分かりませんが、作中世界のミステリ作家は降臨後の世界でどんなミステリを書いているんでしょうね。

 

・井戸の事件の絵面が嫌いな人はいないと思います*1が、あそこは誘導が露骨というかヒントを出しすぎというか。「いかにして高さを稼ぐか」のハウダニットだと言及したらそこからあのトリックまで一歩もないので、驚きが減じてしまったように思います。*2

 

・井戸の事件が顕著ですが、解決編の構成自体がそういう、一つの大きな誘導(伏線)に一つのトリックが対応して一つのチェックポイントになっている感じがあって、独立したそれらを並べて事件の全貌ですとしている。気がする。決してそういう解決編が悪いわけではなく、むしろ「この殺しについて、驚いてほしいポイントはここですよ」というのを明確に伝えるための事件整理のテクニックだと思うんですけれど……本作は個々の事件におけるトリックの根幹の発想自体は想定の内側にあるため、解決編の面白さが別のところ*3にあって、私が特殊設定ミステリの解決編に期待していたものは出してくれなかったかなぁと。少なくとも、満腹とは言い難い。

 

・でも斜線堂有紀という作家はあのトリックのために天使を砂糖好きにしたのではなく、天使は砂糖が好きだろうという直観ありきであのトリックを考案したのではないか。そう思わせてしまう何かがあります。”本物”がもつ”スゴ味”がある。*4

 

・繰り返しますが、一気読みするくらい面白かった作品です。減点は少ないし、加点が小さいわけでもない。ただ、作品が向いていたのとはズレた方向に、私が勝手にハードルを置いてしまっただけです。でも、「これを飛び越えてくれるならかなりの傑作になるぞ」という期待をしながら読めるミステリはそんなにあるものでもありません。「高品質な執着の物語+すごく面白いミステリ」でも、「執着さえもサプライズの駒として利用するミステリ」でも、あるいはもっと予想のつかないものでも、「斜線堂有紀だからこそ書ける面白いミステリ」への期待は拭えないままです。この人はもっともっと面白いミステリを書いてくれる。

いつか読めたら嬉しいです。

*1:いないと思います

*2:関係あるようなないようなですが、『屍人荘の殺人』のエレベーターのトリックを思い出しました

*3:たぶん、探偵役が負っている物語の圧が一番大きかった。ミステリ的には……散りばめられた要素を拾って事件を再現して語る手際それ自体とか、発想以外のところ

*4:「天使にも何か執着があるはず」という確信がトリックより先にあった、ぐらいならマジでありえそう